はずかしいこと

きっと数年後には恥ずかしいと思うのはわかってるけど何処かに書いておきたいあんなことやこんなこと

【29歳の夏休み】ずっと欲しかったものを手に入れた。

20代最後の夏に、完全フリーダムな1週間ができたので、どんな時間を過ごしたのか記録しておこうと思います。

29歳の夏休み1日目。

【ごみだし】
起床10時。この時点で大誤算。おかしい。朝早くおきるつもりだったのに。
洗濯して同居人を見送り、まだ収集車がきていなかったのでごみを出しにいく。
うちはすぐ近くに葬儀屋があって、ちょうど出棺のタイミングでした。
こそこそとごみをだしたあと、部屋にもどる途中で道路はさんだ向かい側のお店で、大きなガラス窓を長いブラシをつかって磨いてて、ああ夏っぽいなーとなんとなく思いました。

【扇子が欲しい】
15時20分から日本橋で映画をみるので外出。
電車のる前に、暑いのでずっと買おうと思ってた扇子を100均で購入。
でも使おうと思って鞄から取り出したら、迷ってた2つの扇子のうち、やめようと決めたほうを買ってた。。。。。なんで????
こういうことよくあるんだよねー。がっくりくるなー。
しかも、なんかくっさいの!!!!やっぱだめだなー。
映画みたあと三越で探したら、6800円とかで、ひっくり返りそうになった。
100円の風と6800円の風はやっぱり違うんだろーな。

【江上さん?江角さん?・・・江口さんだ!】
日本橋のTOHOシネマズで、るろうに剣心鑑賞。
コレド室町1回いったことあるのに迷った。おかしいな。
ここにしたのは、子供が少なさそうっていうのと、スクリーンが大きいから!
いい場所をゲットできていたので、すっごく楽しみにしてたんだけど、ほんっっっと楽しかった!!!!!!
これさ、世界に輸出するよね??え??するよね???
絶対うけるよーいいよーうけなかったらびっくりだよー世界基準ってなに?って感じだよー
でもあれさ、いつも思うんだけど宙を舞うというか、ものすごい飛距離です!ってシーンが違和感あるんだよなー。飛んだってよりつるされて引っ張られました感満載でさ。
あれはあれが正しいのでしょーか。
そこはどうしても好きになれないけど、アクションシーン超超超かっこいいの!!!
佐藤健はきっと性格わるいんだろーなっていつも思ってるんだけど、でもこの人がどんなに性格悪かろうが、こんだけのものやれればそれでいーよなーって思う。
あと!江口さんが超超超セクシーでかっこよくてどうしようかと思った!
ずっと名前が思い出せなくて、最後の剣心と立ち上がる?超かっこいいシーンのときに思い出して、江口さん!江口さんだよ!!すき!!!って悶絶しながらみてた。。。
もうあれやばい。。うっとりした。。。江口カムで全編みたい。。。。
くわえてるタバコになりたい。。

【浦井さんはずるい】
19時から浦井さんの誕生日兼FC10周年のイベントに。これ本当は外れてたんだけど、追加でやってくれて。中はいってみたらクリエの半分くらいしか埋まってなかった。
あたしは所謂浦井大学って呼ばれてる(?)、演技解説的なイベントしかいったことなかったから、どんなもんだろーと思いつつ、まー多分普通に楽しいんだろーなーとのんきに捉えてたんですけど、なんか!!もう!!!本当に感動して号泣したんですけど。。。。
内容は、これからまだ大阪もあるから書いちゃいけないそうなので書かないけど、全てが、ファンに対する感謝で溢れてて。
その姿をみていたら、素敵な人だなーと感動すると同時に、あぁ、あたしはこれがずっと欲しかったんだなぁって思って。
今まで色んな人のファンになってきたけど、応援してくれてありがとう。あなたの存在が自分をつくっています。そんな風に愛のある言葉が欲しかった。
ファンとして、愛して欲しかった。
いや、でも皆いうんだよ?さらんへーとか何回きいたことか。けどそんなの結局半分は嘘じゃん。
大体、愛してほしいなんてさ。
そんなこと求めるのがおかしくて、ファンなんて自分勝手に好きでいて、見守るだけが正しいんだって自分を納得させてたんですよ。
んで色々経験して、もうあんなに熱く誰かのファンになることは無いなーと思っているし、浦井さんに対しても、ファンとして愛してほしいなんて全く一ミリも思ってないんだけど、でも今日の浦井さんがみせてくれた、ファンへの愛情は、かつて別の人をものすごい熱量で愛していて、そして愛されたいと渇望していた、あのころのあたしの乾きを、満たしてくれたんだよね。

もうなんかさ。。ありがたいよ。
応援してる気持ちの50倍ぐらいの愛情受け取った気分だよ。ほんと素敵な人。
誕生日なんだし、10年も走ってきて、あんな舞台をみせてくれる浦井さんをこっちが幸せにしてあげるべき会のはずなのに、蓋をあけてみれば浦井さんがこっちをひたすら幸せで満たしてくれる会で。
もうなんか!この人ずるいよ!って思った。
こんなにいつも希望や愛情でひたひたにしてくれる人は初めてだよ。
それはあたしが今までと違う姿勢のファンでいれているからかもしれないけど。
そんな自分の在り方も含めて、浦井さんは自分のオタク人生の集大成だと改めて実感しました。
あー・・・幸せっ。


【意外とつかった】
浦井さんイベント ¥3800
映画       ¥1200
飲み物etc     ¥980
紅茶とハーブティ ¥925
交通費      ¥330

                                                                                            • -

計        ¥7135

そんなわけで1日目はなかなか充実した1日でした。
気がつけばもう2時になりそうだよ。。
浦井さんに熱くなりすぎた。。

人間として生きる喜びを随所に感じました。(ダディ・ロング・レッグズ感想)

後方下手のはじっこで観劇。
去年色々観劇した結果、自分は帝国劇場なんかでやる人生自体を扱うような、スケールの大きいオケ付のミュージカルが好きだと感じ、規模の小さいものは観劇候補から外していました。
なのでこの作品も、恋愛物だし2人芝居だし…と観劇するつもりはなかったのですが、はじまってみたらいたるところで絶賛されていて、噂には聞いていたけどそこまで…?と。
悩みに悩んで、結局1枚譲っていただいて観劇。
結果、観て良かったです。下手にレポとか頭に入れてから観なくて良かった。全感覚が刺激される素晴らしい舞台でした。
以下、内容も含む感想を。

 

物語自体に対しては、一幕辺りはまぁ面白いなぁって感じだったんだけど、二幕からググググッと引き込まれていって、ジルーシャの卒業式辺りで2人の気持ちが交差していくのに気がつけばぐずぐず泣いてしまっていた。舞台をみて、ほろり、と泣くことや、ダーッと泣くことは多々あったけど、今回みたいにぐずぐず泣いたのは初めて。全くもって演者の気持ちに乗っかっている自覚はなかったんだけど、気がつけば自分はジルーシャであり、ジャービスであり、2人を見守ってきた誰かになってた。最後の最後、ハッピーエンドで終わるのはわかってたけど、いや、わかってるからこそ、気持ちを伝え合う二人のコミカルな演技に泣き笑い。泣き笑いってこういうこと言うんだなーって思いながら目元ぐっちゃぐちゃにして笑ってた。舞台をみててものすごく気分が高まることはよくあるけど、この作品はどこかでドシャーと感情が盛り上がるものではなくて、友達の恋愛相談受けて泣いちゃうみたいな感じ。二人それぞれから相談されてて、すれ違いのもどかしさにやきもきして、最後くっついたときには、おまえらもっとましなこといえないのかよームードってのあるだろーなんだよそれーバカだなーもうー・・・うっううっ(涙)って感じ。・・・自分でも何書いているのか分からなくなってきた。

(仕切りなおし)知らなかった世界を知っていくジルーシャの瑞々しさや、自分を見守っていてくれる人の存在が力になること、困難や憂鬱を想像力で乗り越えていく強さなんかは、原作の力だと思いますが、それ以上に、"舞台"としてとてもよかった。

 

始まってからずっと、「なんか暗いなー」って思ってたんだけど、夏休みに農場に行くようにと言われた後、ずっと閉まってた(ってか暗くてそこに窓があるの意識してなかった)窓を明けて。その瞬間薄暗かった世界に白い光が一気に広がるんだよね。
もうその演出がすごく好き。
開いた2つの窓から差し込む明るい光が、自分の記憶にある田舎の光そのものだったから。まぶしいくらいの白くて明るい光。その先に広がるどこまでも続く緑と青い空。
彼女がいる農場も、そこで暮らすジルーシャの生き生きとした気持ちもすっと心に入ってきて。観た日にツイッターに書いたときは「農場にきたって納得できた」って書いたんだけど、ほんと言うと納得というよりは、その光の下生きる喜びを思い出して、それから、窓1つでここまで自然に心が動いたことに対して、感動してちょっと泣きそうになった。
他にも光と影が印象的だったり、トランクつんだ山とか、どれもこれも自分の中の何かを刺激されるものばかりだった。
演出家って旧レミゼの演出家だったんだよね。。旧演出は観ていないから。。。。この人が携わっていたのなら本当に素晴らしいものだったんだろうな、と初めて納得できたし、観たかった!!って悔しい気持ちしかないよ。。。。なんていうだろう、心の扉のノックの仕方がとても上手なんだよね。静かにコンコンコンってノックされた気分。

窓から差し込む白い光
秘密がつまった屋根部屋のトランク
初めてのニューヨーク
二人で登った山と、一人で登る山

 

そのひとつひとつに対して、彼らが歌に乗せて語る感情と、自分からもあふれる感情が重なる。

あの白い光を浴びたときの気持ち
誰にも見せたことのない、小さな自分を見つけてもらえた気持ち
初めてのものに出会ったときの気持ち
誰かを恋しく思う気持ち

どれも普段は忘れているけど、心の端っこにある感情。我々人間の喜びとは、こんな風に何かを感じ、心を奮わせる瞬間そのものを指すのではないだろうか。。。なんてことまで考えちゃった。そしてまさに今、この舞台を見ていてこんなに心が奮えてる!!!あああああーん幸せ!!!!!あたしっ生きてる!!!(暴走)

あと!!!あれですよ!!!!芳雄さんの歌!!!!
素晴らしかった!!あの人は!なんなんですか!

3曲目?ぐらいの真綾さんの声にのせてくるのかな?そんな感じで芳雄さんが歌い始めた瞬間、本当に冗談でもなんでもなく、身体全体にぶわってきた。
あ、これもツイッターに書いたな。この間シャーロックで浦井さんの声聴いた瞬間は、心にギューッときて(心筋梗塞ではない)、浦井さんの声は心に直行してくるなーと思ったんだけど、芳雄さんはそれとは違って、身体全体に・・・なんていうんだろ、降りてくる?って感じ?なんて例えたらいいかわかんないんだけど、もうほんと、ツイに書いたとおり、あたしの身体が、いや、あたしの細胞が喜んでおられる・・・!って感じ。たぶんあたしの体内の悪玉菌が何個か死んだと思う。
つい先日StarSイベントでも聴いたし、それこそ通勤時間に毎日1回は芳雄さんの声聴いてるんだけど、もう全然違うね。劇場で聴くって全然違うわ。すごく良かったー。次に役者としての彼の歌声を聴くのは年末のMだと思われるので、結構今からドキドキしてる。
役的には、ジャービス坊ちゃまのツンデレ具合にニヤニヤ萌え萌えする話なのかなーって思ってたんだけど、そんなことなくて、むしろ最初から最後までデレ。自分の書斎にジルーシャからの手紙を貼り付けるとか大丈夫?って感じだったし、ジルーシャに男の影が見えると速攻阻止しにかかる慌て具合とか必死な様子とか、人を愛するやり方がわからなくてもがいてる感じがすごくコミカルだったし、とても愛しかった。StarSとかの雰囲気みてると芳雄さんって熱量低くみえるんだけど(やる気ないとかじゃなくて、感情のふり幅が激しくなさそうっていうか)、なんであんな演技できるんだろう。がつがつしてないように見えるのに、がつがつしてる演技も自然なんだよな。。人には見せない引き出しが心の奥ーの奥ーの奥ーーーーのほうにあるんだろうか。

 

舞台が終わった後の拍手がとても暖かくて、激しくはないんだけど、いつまでも途切れることがないだろうな、って思った拍手でした。役者や携わっている人たちに届けば良いな、と心底思う。

見上げたら演出家のジョン・ケアード氏もいらっしゃったので、心のなかで拝んでおきました。(もはや神)伝えられるならこの感動した思いの丈を思い切り伝えたいよ…。
本当に素晴らしい舞台でした。
でも今すぐリピしたいかって言われるとそんなことは無くて。数年に1度見れると嬉しいって感じ。それはつまり1公演の満足度が凄く高いってことだと思います。退屈だなって人はいると思うけど、この舞台を嫌いになる人はなかなかいないんじゃないんだろーか。

あ、気がつけば坂本さんについて何も書けてないや。。。
それは再演で。。。今度はしっかりチケットとって、絶対良い席でみる!!
そんなわけで、ダディロングレッグズは噂に違わない良作で、個人的には人間として生きる喜びや幸せを再認識できた舞台でした。
今日も明日も、出会う全ての人や出来事を、全身で感じながら生きていこうと思います。

愛により自分の人生を取り戻し、生きた人の物語/二都物語総括

今更二都物語の感想を書こうと思って、楽曲聴きながら書き始めたんだけど、場面場面を思い出すとどこも大好きで。
この作品に出会ってからいくつかのミュージカルを観て、正直二都より感動したものもあるけど、ここまで心を奪われた作品は今のところ無いなー。と改めて思いました。
理屈じゃないなーと。

 

以下、内容も含む感想(半年以上経ってるのに)

 

カートンは、何らかの理由で自分の人生に価値を見出すことができなくて、自暴自棄に生きているけれど、本当はきっと誰かとつながりたくて、誰かの役に立つ人間でありたい、そして必要とされたいという気持ちがずっとあって。
だからこそ弁護士という仕事についたのだろうし、人が集まる酒場で暮らしているんだろうと感じた。
淋しくて仕方なくても、自分が人に愛されるはずがないと思ってる。

だから裁判所の後の居酒屋でダーニーとひと悶着あった後に歌う、『叶わぬ夢』でも、(歌詞は忘れたけど)ルーシーに惹かれる気持ちはあるけど、自分とは住む世界が違うから遠くで見ていよう。って内容なんだよね。
自分のこんな気持ちはどうせ受け入れてもらえない、彼女にはダーニーみたいな人が一番似合う。みたいな。

ここまで諦めちゃってる人の心を、ルーシーは(きっと)徐々に溶かしていって、カートンの心が溶けきった瞬間に、『この星空』!!!
(もうこの曲大好きー!!!)
もしかしたら、この人は自分のことを受け入れてくれてるのかもしれない。
好きになってくれるかもしれない。
自分は、彼女の愛を望んでもいいのかもしれない。
そう思った瞬間に世界は色を変え、「人生はこんなに美しい」なんて思えるんだよね。
遠くでみてるしかできないって思ってた人がここまで思えるって本当に凄いことだし、それだけルーシーはカートンにとてもとても親切だったんだと思う。
彼が勘違いするぐらいに。(悲しい)

そう、勘違いなんだよね。ここが本当に悲しいところでさ、色々考えたけどどうしたってルーシーはチャールズ(ダーニー)のことが好きなんだよ。
カートンが「やばい、ルーシーってまじで俺のこと好きなんじゃね?どーしよ、これって恋?ワインの味もわかんなくなっちゃった~」ってやってる裏で(裏っていう言い方は悪いけど)、チャールズはマネット(ルーシーパパ)に結婚を申し出ている訳ですよ!
んでもって実際にプロポーズしたらルーシーは「なんでこんなに時間かかったの?あたしもう21よ?」と抜かすわけですよ。

 

・・・・もう21?(いらっ)

 

そんなの知らないカートンはルーシーに青いスカーフもらって、「これをつけている間は自分を大事にしてることになるでしょ?」なんて意味深なこと言われて「やっべーーーーまじでこれいけんじゃね?」とか思っちゃうわけですよ。
(ルーシーは思わせぶりすぎるでしょ。ほんと。なんでお前にもらったスカーフつけてるのが自分を大事にすることになるんだし!!自意識過剰ー!!!)
んで告ったら、「さっきチャールズのプロポーズ受けたんだけど…(え?あたしのこと好きだったの?)」って返される可哀相なシドニー(カートン)。
普通はここで、「やっぱそーゆーことかよぉぉぉぉ!すげー恥ずかしいんすけど!勘違いしてさーせん!!」って思ってまた心を閉ざすべき(いや、べきではないか)なんだけど、シドニー・カートンは神に愛される魂の持ち主ですからね!
『夢が叶うなら』の曲中で告白→撃沈→ストーカー宣言→ちょっとルーシーに複雑な表情される(主観)→チャールズにっこにこで子役子供を振り回す(絶対何も知らない)→カートン子供を怪しい目でみる(主観)→カートン、新しい夢(ルーシーの血をひくリトルルーシー)をみつけた!!ってなる。
ただのロリコンっていうかストーカー化するシドニーカートン。
きっとルーシー、一夜ぐらいはうなされたと思う。「・・・っカートン!娘に!手は出さないでっ!」って。
・・・・なんか実際にそういうのも無さそうなのもマネット家(チャールズ含む)の残酷なところなんだよね。
ちょっとぐらいそんな風に思う女であってほしいけど、多分違う。マネット家と書いて誠実と読むって感じ。

そんな人たちに出会ってすっかり丸くなったシドニー。多分このまま平穏に過ごしていけたら一番良かったんだろうけど、まぁ誠実と書いてダーニーと読む(もうよく分からん)ダーニー坊ちゃんがガベル(とってもいい執事)を助けるためにフランスにいって捕まっちゃうからね。

なんで行くんだよチャールズちゃん。
お前の頭はハッピーターンでできてるのか。

まぁでもチャールズたんは(それなりの覚悟はしてただろうけど)それ以上に、貴族の暮らしを嫌って捨てた人だから、きっと自分は民衆と分かり合えると思ってたんだろうね。
実際のフランスの様子なんてイギリスからじゃ分からなかっただろうし。
んでつかまったあと、助けるために家族みんなでフランスにくるという。
危ないよ!娘だけでもイギリスおいてきなよ!!

カートンもちゃっかりフランスにくるんだけど、多分この時点では身代わりになるなんて考えてない。
裁判で、チャールズは一旦許されそうになるんだけど、デヴレモンド(チャールズの旧姓)家に遺恨がある、一度は聴くべき歌声をもつ濱田めぐみさん演じるマダム・ドファルジュがでてきて、デブレモンド一家の罪を告発しちゃって、結局処刑されることになる。(この罪の告発に証拠として使われたのがマネットおじいちゃまが昔書いた告発文だったのが可哀相。マネットおじいちゃま頭抱えちゃうのほんと可哀相)

処刑されることが決まった後、憔悴するルーシーを見てカートンは、(あたしのなかでは)絶対、自分がチャールズの代わりにこの家族を守ろうって思ったはず。
勿論友人を心配する気持ちはあったと思うんだけど、でもカートンの人生を変えたのはチャールズじゃなくて、ルーシーだから。
チャールズがこのまま処刑されてしまったなら、自分がこの人を守っていこうって思ってたと思う。きっとチャールズも同じ頃、絶望と共にそう願っていると思う。
このミュージカルを語る製作陣から何度か「託し、託される物語」(ニュアンスだけど)という言葉が出ていて、基本去っていくカートンが託す側に見えるけど、チャールズの心持としては彼は最後まで"託す側"なんだよね。
だって処刑されるのは自分のはずだったんだもん。
だからこの時までチャールズが"託す側"で、カートンが"託される側"だった。
チャールズの想いを背負って、彼女たちを守っていくのは自分なんだって想ってたと思う。

でも、そんなカートンの想いはとても浅はかで。
ルーシーのチャールズへの想いは、とても深く。
彼女の歌う『さよならは言わないで』は、カートンの心を決定的に打ちのめす。
ルーシーが側にいてほしいのはシドニーカートンじゃなくて、チャールズダーニー。
側にいてほしい、さよならなんていわないで。

自分じゃ駄目なんだっていう決定打。
チャールズがいなくなってしまったら、自分ではその代わりができない。
自分にとってルーシーが唯一無二なように、ルーシーにとってもチャールズではなくては駄目なんだ。
運命はカートンに残酷すぎる。
一度は心に閉まった想いを、守りたいという想いと共に再度加熱させておきながら。
残酷だわー
カートンもルーシーのそんな歌に乗せたひとりごとなんて聴かなきゃよかったのに。

ここからのカートンは、ちょっと昔のカートンみたい。
装っているところもあるんだろうけど、ちょっと自暴自棄なところもあると思う。
だって普通自分から死なないでしょ。
チャールズはある意味運命なのかもって思うけど、カートン超無関係じゃん。
なんでチャールズのパパとおじさんが犯した罪をカートンがかぶるのさ。バカバカ。
この時点でのカートンはちょっと衝動的だなーと思う。

バーサットに頼んでチャールズの牢屋に入っていくとこなんかもナチュラルハイ。
(バーサットにお願いするときの歌凄く好き。)

んでこれ以降はあんまり好きじゃない。
早々に去っていくマネット家(特にルーシー)すげーむかつくし。
ナチュラルハイが終わった後のよしおさん…じゃなくてカートンを支える(お互いに支えあった感じよね)お針子ちゃんもすごく良かったけど(歌声も好きでした)、ルーシーじゃなくおはりこちゃんに寄り添うカートンが悲しい。
だって、カートンがすきなのはルーシーなんだもん。
ルーシーと同じベッドで朝起きて、あなたおはよう、朝よって言われて、自分とルーシーの子供におはようのキスをもらって、
夫婦喧嘩した日には、親友のチャールズに「ちょっとかくまってくれ」って逃げ込みたかったんだもん。でチャールズは嘘が下手だからルーシーにばれて「あなたはいっつもチャールズを困らせて!!子供ね!!」って怒られたかったんだもん!!!!(妄想が過ぎる)

それが、叶わないんだよ。
自分がずっと心にもってた夢が叶わない上に殺されるんだよ。

あほかー可哀相すぎるだろ。
せめてルーシーが、戻ってきた旦那に抱きついた後、カートンが身代わりになったことを知ったら、泣き叫んで牢獄に戻るぐらいしてくれたら救われたけど、
なんか皆、「彼の意志を無駄にするな」とかいって足早に去ってくし。
結局皆、カートンよりチャールズの命のが大事なんだよね。
それがすごく悲しい。
そんなことないって思いたかったけど、現実にもそういうことはあるし。
これが逆で、カートンをすくうためチャールズが身代わりになったら(チャールズは正義感と誠実さ故に、素でやりそう。)ルーシーとちくるいそう。

カートンは最後の断頭台で「これは僕が今までしてきた何よりも、ずっとずっと良いことなんだ」っていうけど、言葉のわりに顔が全然悟ってない(日によって、や見方によって違うんだろうけど)ように見えて、あーもうバカバカ。悲しいくせにバカバカ。
そうやって最後までかっこつける!って気分になる。
女が夢中になりそうな典型的男子・・・

そんなわけであまりにも納得いかなかったので当時、ぐるぐる考えて。
託すとか託されるって観点でみると、あたしはルーシーやチャールズをとても良い人だと思うけどカートンの心の深いとこまでは絶対分からないと思ってる。

心から誠実な人には、見えてない世界がある。
だから彼らが本当にカートンの孤独とか、マネット家への感謝とか、ルーシーへの愛とかを受け取ってくれるか分からない。
それが悪いわけじゃなくて、そんな人たちだからカートンは幸せだったんだろうし。

でもその時ふと気づいたのが、それはあくまで客観的にみた結果だってこと。
大事なのはカートンが、自分自身で、自分の人生を歩んだってことなんだって。

酒場でチャールズと呑んでたとき、「ゆりかごに入った時から運命なんて決まってる」っていってたシドニーカートン。
自分の価値も、自分の人生の価値も分からなくて、迷子のように生きていた彼が、
愛することを知り、愛されることを知り、
(例えその選択が人生を終わらせるとしても)自分の人生を自分の手で選択し、そして他の人の運命も変えてしまう。
それは彼にとってとても価値があることなんだってこと。

 

ちょっと今のあたしには、広い視点でみることはできなくて、他の登場人物にまで想いを寄せられず、未来に託す物語には読み込めなかったけど、
カートンの人生には限りない希望が詰まってた。
そんなわけで、今の自分にとってこの物語は、『愛により自分の人生を取り戻し、生きた人の物語』でした。
例えば子供ができたりしたら、その時はまた違ったものに見えるかも。

いつか再演してもらえると嬉しいな。
井上カートンと浦井チャールズはとてもはまり役だと思ってるし思いいれも強いけど、他の人が演じるカートンも見てみたい。
もっと純粋に天使みたいなカートンもありそうだし、正義感あふれるカートンもありそう。

あと、今にして思うのは出演者皆さんとても素晴らしく、初日本語ミュージカルとしてこの作品を選んだのは良き選択だったな、と。

それにしても、いやー長い独り言だったな。。