はずかしいこと

きっと数年後には恥ずかしいと思うのはわかってるけど何処かに書いておきたいあんなことやこんなこと

愛により自分の人生を取り戻し、生きた人の物語/二都物語総括

今更二都物語の感想を書こうと思って、楽曲聴きながら書き始めたんだけど、場面場面を思い出すとどこも大好きで。
この作品に出会ってからいくつかのミュージカルを観て、正直二都より感動したものもあるけど、ここまで心を奪われた作品は今のところ無いなー。と改めて思いました。
理屈じゃないなーと。

 

以下、内容も含む感想(半年以上経ってるのに)

 

カートンは、何らかの理由で自分の人生に価値を見出すことができなくて、自暴自棄に生きているけれど、本当はきっと誰かとつながりたくて、誰かの役に立つ人間でありたい、そして必要とされたいという気持ちがずっとあって。
だからこそ弁護士という仕事についたのだろうし、人が集まる酒場で暮らしているんだろうと感じた。
淋しくて仕方なくても、自分が人に愛されるはずがないと思ってる。

だから裁判所の後の居酒屋でダーニーとひと悶着あった後に歌う、『叶わぬ夢』でも、(歌詞は忘れたけど)ルーシーに惹かれる気持ちはあるけど、自分とは住む世界が違うから遠くで見ていよう。って内容なんだよね。
自分のこんな気持ちはどうせ受け入れてもらえない、彼女にはダーニーみたいな人が一番似合う。みたいな。

ここまで諦めちゃってる人の心を、ルーシーは(きっと)徐々に溶かしていって、カートンの心が溶けきった瞬間に、『この星空』!!!
(もうこの曲大好きー!!!)
もしかしたら、この人は自分のことを受け入れてくれてるのかもしれない。
好きになってくれるかもしれない。
自分は、彼女の愛を望んでもいいのかもしれない。
そう思った瞬間に世界は色を変え、「人生はこんなに美しい」なんて思えるんだよね。
遠くでみてるしかできないって思ってた人がここまで思えるって本当に凄いことだし、それだけルーシーはカートンにとてもとても親切だったんだと思う。
彼が勘違いするぐらいに。(悲しい)

そう、勘違いなんだよね。ここが本当に悲しいところでさ、色々考えたけどどうしたってルーシーはチャールズ(ダーニー)のことが好きなんだよ。
カートンが「やばい、ルーシーってまじで俺のこと好きなんじゃね?どーしよ、これって恋?ワインの味もわかんなくなっちゃった~」ってやってる裏で(裏っていう言い方は悪いけど)、チャールズはマネット(ルーシーパパ)に結婚を申し出ている訳ですよ!
んでもって実際にプロポーズしたらルーシーは「なんでこんなに時間かかったの?あたしもう21よ?」と抜かすわけですよ。

 

・・・・もう21?(いらっ)

 

そんなの知らないカートンはルーシーに青いスカーフもらって、「これをつけている間は自分を大事にしてることになるでしょ?」なんて意味深なこと言われて「やっべーーーーまじでこれいけんじゃね?」とか思っちゃうわけですよ。
(ルーシーは思わせぶりすぎるでしょ。ほんと。なんでお前にもらったスカーフつけてるのが自分を大事にすることになるんだし!!自意識過剰ー!!!)
んで告ったら、「さっきチャールズのプロポーズ受けたんだけど…(え?あたしのこと好きだったの?)」って返される可哀相なシドニー(カートン)。
普通はここで、「やっぱそーゆーことかよぉぉぉぉ!すげー恥ずかしいんすけど!勘違いしてさーせん!!」って思ってまた心を閉ざすべき(いや、べきではないか)なんだけど、シドニー・カートンは神に愛される魂の持ち主ですからね!
『夢が叶うなら』の曲中で告白→撃沈→ストーカー宣言→ちょっとルーシーに複雑な表情される(主観)→チャールズにっこにこで子役子供を振り回す(絶対何も知らない)→カートン子供を怪しい目でみる(主観)→カートン、新しい夢(ルーシーの血をひくリトルルーシー)をみつけた!!ってなる。
ただのロリコンっていうかストーカー化するシドニーカートン。
きっとルーシー、一夜ぐらいはうなされたと思う。「・・・っカートン!娘に!手は出さないでっ!」って。
・・・・なんか実際にそういうのも無さそうなのもマネット家(チャールズ含む)の残酷なところなんだよね。
ちょっとぐらいそんな風に思う女であってほしいけど、多分違う。マネット家と書いて誠実と読むって感じ。

そんな人たちに出会ってすっかり丸くなったシドニー。多分このまま平穏に過ごしていけたら一番良かったんだろうけど、まぁ誠実と書いてダーニーと読む(もうよく分からん)ダーニー坊ちゃんがガベル(とってもいい執事)を助けるためにフランスにいって捕まっちゃうからね。

なんで行くんだよチャールズちゃん。
お前の頭はハッピーターンでできてるのか。

まぁでもチャールズたんは(それなりの覚悟はしてただろうけど)それ以上に、貴族の暮らしを嫌って捨てた人だから、きっと自分は民衆と分かり合えると思ってたんだろうね。
実際のフランスの様子なんてイギリスからじゃ分からなかっただろうし。
んでつかまったあと、助けるために家族みんなでフランスにくるという。
危ないよ!娘だけでもイギリスおいてきなよ!!

カートンもちゃっかりフランスにくるんだけど、多分この時点では身代わりになるなんて考えてない。
裁判で、チャールズは一旦許されそうになるんだけど、デヴレモンド(チャールズの旧姓)家に遺恨がある、一度は聴くべき歌声をもつ濱田めぐみさん演じるマダム・ドファルジュがでてきて、デブレモンド一家の罪を告発しちゃって、結局処刑されることになる。(この罪の告発に証拠として使われたのがマネットおじいちゃまが昔書いた告発文だったのが可哀相。マネットおじいちゃま頭抱えちゃうのほんと可哀相)

処刑されることが決まった後、憔悴するルーシーを見てカートンは、(あたしのなかでは)絶対、自分がチャールズの代わりにこの家族を守ろうって思ったはず。
勿論友人を心配する気持ちはあったと思うんだけど、でもカートンの人生を変えたのはチャールズじゃなくて、ルーシーだから。
チャールズがこのまま処刑されてしまったなら、自分がこの人を守っていこうって思ってたと思う。きっとチャールズも同じ頃、絶望と共にそう願っていると思う。
このミュージカルを語る製作陣から何度か「託し、託される物語」(ニュアンスだけど)という言葉が出ていて、基本去っていくカートンが託す側に見えるけど、チャールズの心持としては彼は最後まで"託す側"なんだよね。
だって処刑されるのは自分のはずだったんだもん。
だからこの時までチャールズが"託す側"で、カートンが"託される側"だった。
チャールズの想いを背負って、彼女たちを守っていくのは自分なんだって想ってたと思う。

でも、そんなカートンの想いはとても浅はかで。
ルーシーのチャールズへの想いは、とても深く。
彼女の歌う『さよならは言わないで』は、カートンの心を決定的に打ちのめす。
ルーシーが側にいてほしいのはシドニーカートンじゃなくて、チャールズダーニー。
側にいてほしい、さよならなんていわないで。

自分じゃ駄目なんだっていう決定打。
チャールズがいなくなってしまったら、自分ではその代わりができない。
自分にとってルーシーが唯一無二なように、ルーシーにとってもチャールズではなくては駄目なんだ。
運命はカートンに残酷すぎる。
一度は心に閉まった想いを、守りたいという想いと共に再度加熱させておきながら。
残酷だわー
カートンもルーシーのそんな歌に乗せたひとりごとなんて聴かなきゃよかったのに。

ここからのカートンは、ちょっと昔のカートンみたい。
装っているところもあるんだろうけど、ちょっと自暴自棄なところもあると思う。
だって普通自分から死なないでしょ。
チャールズはある意味運命なのかもって思うけど、カートン超無関係じゃん。
なんでチャールズのパパとおじさんが犯した罪をカートンがかぶるのさ。バカバカ。
この時点でのカートンはちょっと衝動的だなーと思う。

バーサットに頼んでチャールズの牢屋に入っていくとこなんかもナチュラルハイ。
(バーサットにお願いするときの歌凄く好き。)

んでこれ以降はあんまり好きじゃない。
早々に去っていくマネット家(特にルーシー)すげーむかつくし。
ナチュラルハイが終わった後のよしおさん…じゃなくてカートンを支える(お互いに支えあった感じよね)お針子ちゃんもすごく良かったけど(歌声も好きでした)、ルーシーじゃなくおはりこちゃんに寄り添うカートンが悲しい。
だって、カートンがすきなのはルーシーなんだもん。
ルーシーと同じベッドで朝起きて、あなたおはよう、朝よって言われて、自分とルーシーの子供におはようのキスをもらって、
夫婦喧嘩した日には、親友のチャールズに「ちょっとかくまってくれ」って逃げ込みたかったんだもん。でチャールズは嘘が下手だからルーシーにばれて「あなたはいっつもチャールズを困らせて!!子供ね!!」って怒られたかったんだもん!!!!(妄想が過ぎる)

それが、叶わないんだよ。
自分がずっと心にもってた夢が叶わない上に殺されるんだよ。

あほかー可哀相すぎるだろ。
せめてルーシーが、戻ってきた旦那に抱きついた後、カートンが身代わりになったことを知ったら、泣き叫んで牢獄に戻るぐらいしてくれたら救われたけど、
なんか皆、「彼の意志を無駄にするな」とかいって足早に去ってくし。
結局皆、カートンよりチャールズの命のが大事なんだよね。
それがすごく悲しい。
そんなことないって思いたかったけど、現実にもそういうことはあるし。
これが逆で、カートンをすくうためチャールズが身代わりになったら(チャールズは正義感と誠実さ故に、素でやりそう。)ルーシーとちくるいそう。

カートンは最後の断頭台で「これは僕が今までしてきた何よりも、ずっとずっと良いことなんだ」っていうけど、言葉のわりに顔が全然悟ってない(日によって、や見方によって違うんだろうけど)ように見えて、あーもうバカバカ。悲しいくせにバカバカ。
そうやって最後までかっこつける!って気分になる。
女が夢中になりそうな典型的男子・・・

そんなわけであまりにも納得いかなかったので当時、ぐるぐる考えて。
託すとか託されるって観点でみると、あたしはルーシーやチャールズをとても良い人だと思うけどカートンの心の深いとこまでは絶対分からないと思ってる。

心から誠実な人には、見えてない世界がある。
だから彼らが本当にカートンの孤独とか、マネット家への感謝とか、ルーシーへの愛とかを受け取ってくれるか分からない。
それが悪いわけじゃなくて、そんな人たちだからカートンは幸せだったんだろうし。

でもその時ふと気づいたのが、それはあくまで客観的にみた結果だってこと。
大事なのはカートンが、自分自身で、自分の人生を歩んだってことなんだって。

酒場でチャールズと呑んでたとき、「ゆりかごに入った時から運命なんて決まってる」っていってたシドニーカートン。
自分の価値も、自分の人生の価値も分からなくて、迷子のように生きていた彼が、
愛することを知り、愛されることを知り、
(例えその選択が人生を終わらせるとしても)自分の人生を自分の手で選択し、そして他の人の運命も変えてしまう。
それは彼にとってとても価値があることなんだってこと。

 

ちょっと今のあたしには、広い視点でみることはできなくて、他の登場人物にまで想いを寄せられず、未来に託す物語には読み込めなかったけど、
カートンの人生には限りない希望が詰まってた。
そんなわけで、今の自分にとってこの物語は、『愛により自分の人生を取り戻し、生きた人の物語』でした。
例えば子供ができたりしたら、その時はまた違ったものに見えるかも。

いつか再演してもらえると嬉しいな。
井上カートンと浦井チャールズはとてもはまり役だと思ってるし思いいれも強いけど、他の人が演じるカートンも見てみたい。
もっと純粋に天使みたいなカートンもありそうだし、正義感あふれるカートンもありそう。

あと、今にして思うのは出演者皆さんとても素晴らしく、初日本語ミュージカルとしてこの作品を選んだのは良き選択だったな、と。

それにしても、いやー長い独り言だったな。。